ヴィアマーレ

トップガン マーヴェリック、観てきたぁぁぁ!!

LINEで送る
Pocket

 

もう最高!感動の嵐!

 

ダイビングとは全く関係ない話ですが、自分にとってはダイビングと切り離せない思い出であり、間違いなくこれまでの人生の中でダントツでベスト1の映画である「トップガン。」まさか続編ができるとは夢にも思ってなかったので、続編ができると聞いた段階で舞い上がりまくってました。そして公開から週末を挟んだウィークデイの初日。念願の続編「トップガン マーヴェリック」を観てきたので、その想いを綴ります。

 

前作「トップガン」の思い出

 

前作の「トップガン」が公開されたのはなんと1986年の12月!なんと36年前!日本のいわゆるバブルは1986年の12月からとされていますので、まさにバブルと共に公開された映画と言えますね。ちなみに邦画ではバブルの象徴とされるホイチョイ・プロダクションの映画「私をスキーに連れてって」が「トップガン」公開翌年の1987年公開、「彼女が水着に着替えたら」が1989年公開です。

さてその頃のワタクシといえば、ケラマ諸島の座間味島にいました。

1986年の春に大学を4年(実質2年(⌒-⌒; ))で中退して、学生時代のダイビングクラブの合宿の地であり、大学時代の4年間、長い時には年の1/3を過ごしていた座間味島に住所を移しました。座間味のとある老舗ショップで学生時代から住み込みヘルパーを始めそのまま居着いた形です。移住してすぐの仕事と家ば、結構本格的なペンション建設のお手伝い。それも背面はブロック積み、それ以外は木造というハイブリッドな造り。移住前からその計画は聞いてはいましたが、ちょうど自分が島に移住したタイミングでその建築が始まり、基礎から完成、その後の増築まで、ほとんど関わりました。ロクでもないオーナーではありましたが、離島で暮らすためには何でも自分でできるようにならなければならない!という教えだけは今でも感謝しています。またブロック積みと在来木造工法、それも木で螺旋階段を作るといったかなりマニアックな手法まで学ばせていただきました。おかげでついこないだも大怪我しましたがね。

というわけで自分も少なからず建築に関わった当時の座間味では最先端のシャレオツのペンションが完成し、お客さんをお招きするようになり、自分の仕事はダイビングのガイドや体験ダイビング、シリンダーのチャージに加え、ペンションでの雑用、最終的にはゲストの3食の調理まで担当するようになりました。その頃の自分を知るゲストにして、「こんなに働くヤツ見たことない!」と言わしめた程でした。今でも基本的には変わっていないようですが、座間味のダイビングスタイルは午前1本、午後1本の1日2本が基本。だからこそ何とかやれてました。1日3本が普通の今のようなら間違いなく過労で死んでます。何を隠そう!その頃の自分の心の糧というか自分を支えてくれた映画こそが「トップガン」だったのでした。

移住当時はバブル景気直前で自分には全く実感はありませんでしたが、世の中景気は良くなっていたようです。座間味では多くのツアー客が押し寄せ、座間見港目の前の二つの無人島には夏のシーズンには下手すると2島合わせて多い時には100名?は大袈裟かもしれないけど、それぐらいの観光客が押し寄せてました。その頃の名物といえば、米軍払い下げのパラシュートを使ったテントが何張りも展開する安慶名敷島と嘉比島の風景です。スクーバダイビングも最初のブームの始まりの頃でシーズン中は全く休みなし。というわけでもちろん「トップガン」を劇場で見た記憶はありません。移住直後でもちろんまだペーペーですし、ど田舎のど田舎。世の中バブルはどこの空!先立つものもなかったし、ましてや忙しくてその頃は那覇に出る暇すらなかったかと記憶してます・・・

ペンションが稼働してからというもの、ダイビングの仕事やシリンダー、チャージが一段落して他にルーティーンがないと決まって始めるのがアイロン掛け。離島ですからリネンサービスなんて望むべくもなく、基本、ペンションで使うリネン類は自分達で洗濯して、きっちりアイロン掛けしてました。8室?だったかな?6室だったかも、のゲストルームの一つは満室にならない限り、自分らの仕事場、リネンルームでした。そこに篭ってひたすらシーツのアイロン掛けをするのです。その時にエンドレスで見ていたのが「トップガン」でした。エンドレスと言っても、当時はVHS(若者は知らないよね)ですので、映画が終わったら巻き戻ししなきゃですけどね・・・

当時は那覇には海賊版のVHSを安く販売する店が結構あって、そんなところからまとめてどっと当時の映画のVHSを取り寄せてました。劇場には行けないけど、公開から一月もしないうちに海賊版が出回っていた時期ですのでほとんどタイムリーに新作見てました。特に暇な冬場は。

で、ハマったのが「トップガン」でした。ヒマになると例のリネンルームに篭って、延々と「トップガン」を流しながら、シーツのアイロン掛けするのがルーティーンになった時期がありました。結構リラックスできる時間帯だったのを覚えています。あまりに再生しすぎて最後にはすり減って見辛くなったりするのもお約束、ヤバくなりそうになるとまた発注したり・・・、とかね。はい!若い方々にはご理解できないかもしれませんが、当時のいわゆる「ビデオ」はアナログなので再生しすぎると画像の劣化や画像が飛んだり、とかが起きるのです。ちなみにブルーレイやDVDは5年ぐらいすると一切再生してなくても結構な確率で再生不能になりますよー。

というわけで当時ならセリフ(もちろん英語)を全部諳んじられるぐらいに「トップガン」を見てました、というか作業中に流してましたというのが正しいかな。

そんなこんなで「トップガン」は自分にとって数ある映画の中でも特異な存在なのです。ある意味自分そのものというか・・・

 

 

新作「トップガン マーヴェリック」のインパクト

 

マジで強烈です「トップガン マーヴェリック」

 

聞いたところではこれまでなぜ、続編ができなかったかというと、トム・クルーズ自身がこの作品が下手に続編が多産されて、本家本元のグレードを落とすことを嫌って、前作の公開直後に、「トップガン」の続編の制作権利みたいなのを自ら買い取ったらしいです。

そして30年以上かけてトム自身が納得できるタイミングとストーリーを得て、満を持して製作した映画なのです。

そう言われてみれば、なるほど。さまざまな人物設定が全て綿密に計算されています。

特にあのアイスが・・・、おっとネタバレになるのでやめておきますね・・

グースの・・・、あ、これもヤバイね。失礼しました。

 

「トップガン」の前作を見てなくても、全く違和感なく見れるはず。

仮想敵国が例のあの国を想起させるところも自分的には思いっきりツボ!

あまり多くを語るとネタバレになるので辞めときますが、間違いなく前作を超えてると思う。

前作からのオマージュあり、新しいギミックあり、さすがさすがの続編でした。しかもおよそ35年ぶりって、フツーありえないでしょ!!さすが、トム・クルーズ!!

まぁ、映像技術的など全てが30年前よりは進化しているのもあったりするので、映像の素晴らしさとインパクトと感動は今作に軍配が上がるでしょうが、やっぱり原作「トップガン」の生涯No.1映画の位置は変わらないかな。やっぱり思い入れもありすぎるし、ゼロから作った名作ですものね。

色々書きたい感想は色々あるのですが、ネタバレになってしまうのでやめておきましょう(爆)

 

日本語版字幕はあの戸田奈津子先生!

 

前作も戸田奈津子先生だったと記憶しているのですが、なにぶん山ほど(多分1000枚くらいあるかな)ブルーレイ持っているのに改めて大好きな「トップガン」が全くないという事実に今更気がついてしまい、確認不能なのでした。もう頭の中で普通に完璧再生できるくらいに見てるので改めて見ようとも思ってないのでした(汗)

まさか持ってないとは思わなかった・・・ってのが正直な感想。いつでもそこにある、のが自分にとってのトップガンなのでした。

ちなみに、戸田奈津子先生とは実は面識があるのです。時を経て、2001年に公開された映画「ダイバー」、USネイビーでは伝説となっているアフリカ系初のダイバーの実話に基づいた映画で、主人公は当時有色人種差別が激しい中であらゆる障壁を跳ね除けてネイビー初アフリカ系ダイバーとなるのですが、潜水中の事故でハンディキャップを負ってしまいます。それでも怯むことなく、ハンディキャップを負ったままUSネイビーダイバーとしてカムバックするという感動的なストーリーでした。

ハンディキャップド・ダイビング繋がりで、当時日本で唯一身障者へのダイビング教育を行なっていた指導団体として、自分が名前だけの代表を務めていた”JULIA”が日本国内の正式な映画のPRスポンサーとなっていました。その関係で、プレミア公開の際に主役のキューバ・グッディングJR.氏とモデルとなった伝説のダイバー、カール・ブラシア氏が来日され、初日挨拶に登壇された際、自分らも招かれて帝国ホテルの一室で面談したのですが、その際通訳を務められていたのが戸田奈津子先生でした。

 

兎にも角にもも、何と言っても、

I DO LOVE TOPGUN !

なのである!!

 

余談ですが、今年の夏にはジュラシックパークの新作や、アバターも続編を制作しているとのこと。ワクワクが止まりません!!

 

 

 

 

この記事を書いた人

案納昭則

潜水歴四十年、総本数12000本を超える現役のSSI(スクーバ・スクール・インターナショナル)インストラクターでありJPS所属の職業写真家。
2003年にNHK「趣味悠々〜水中散歩を楽しもう(全7回)」講師を担当。上智大学外国語学部フランス語学科中退。
NPO法人沖縄県ダイビング安全対策協議会事務局長を歴任。

この著者の記事一覧

コメントは受け付けていません。

LINEで送る
Pocket

フリーダイビング、その他最先端のテクニカル・ダイビングなどどんな要望にもお答え致します!

問い合わせはココ 問い合わせはココ arrow_right
PAGE TOP