ヴィアマーレ

2019年1月・レッドシーツアーのご報告(エジプト観光・ルクソール編)

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「海のオーロラ」の地・テーベ

 

テーベは紀元前15世紀前後のエジプト新王朝時代の首都が置かれたところ。ナイル川の東岸に位置しており、西岸はいわゆるネクロポリス(死者の都)とされています。

里中満智子先生の漫画「海のオーロラ」は中学、高校時代に愛読していたリインカネーションをテーマにした漫画です。その最初のエピソードがエジプトのファラオであるトトメス3世と平民の女性ルツの恋を描いたのもので、その後、邪馬台国の日本や、ナチスドイツの時代を背景に転生を繰り返すというユニークな漫画でした。その輪廻の始まりの舞台となるのがエジプトの古都テーベ。現在のルクソールです。エジプトの中でも特に憧れの地なのでした。

現在の首都カイロからは東京と大阪ぐらいの距離があるので日帰りで行こうと思えば空路しかありえません。というわけでまだ真っ暗な早朝にホテルを出発して空路、ルクソールを目指しました。とはいえ車椅子でのエジプト国内便の移動はかなりハード。まぁ、これくらいのことはパラオやサイパン、ハワイなど慣れっこではありますけどね。

 

王家の谷

 

王家の谷のトロリー
王家の谷のチケット売り場から王家の谷まではこのトロリーで移動します。

 

空港に到着して早速向かったのが王家の谷。開館したてなのでまだまだ人も少なく、ゆっくりと巡ることができました。ちなみに冬の早朝のエジプトの砂漠はさすがに寒く、ダウンのジャケットは欠かせません。

 

王家の谷俯瞰
王家の谷俯瞰
王家の谷の地図
王家の谷の地図
KV11ラムセス3世墓
KV11ラムセス3世墓

 

KV2 ラムセス4世の墓

 

最初に入ったのがラムセス4世のお墓

こちらは王家の谷の中でも保存状態が良いお墓だそうです。

ごめんなさいトップのYouTubeのキャプションはちょっと間違ってるようでラムセス4世墓はKV2

が正しいようです。

 

ラムセス4世墓入り口
ラムセス4世墓入口
ラムセス4世墓内部
ラムセス4世墓内部
ラムセス4世墓内部
ラムセス4世墓の棺
ラムセス4世墓
ラムセス4世墓に残されたローマ時代あたりの落書き

 

今も昔もど阿呆は存在するわけで、それはそれで馬鹿の歴史として残っているのはある意味感慨的ではあります。

これが現代の落書きだったら犯人特定して沖縄方言で言えば「タックルさりんどー」的レベルですけどね。

 

 

ラムセス4世墓
やっと現世に出てくる直前です。

 

KV6 ラムセス9世の墓

 

ラムセス9世の墓
ラムセス9世の墓の地図
 

ラムセス9世の墓
ラムセス9世の墓、石棺のあった空間。
ラムセス9世の墓
ラムセス9世の墓の壁画
ラムセス9世の墓
ラムセス9世の墓、通路の天井図
KV6 ラムセス9世の墓
KV6 ラムセス9世の墓の入り口で記念撮影

 

KV6 ラムセス3世の墓

 

ラムセス3世墓
ラムセス3世墓概略図
KV11ラムセス3世墓
KV11ラムセス3世墓のホルス神の壁画
KV11 ラムセス3世墓
KV11 ラムセス3世墓
KV11 ラムセス3世墓
KV11 ラムセス3世墓

 

KV62 トゥト・アンク・アメン王(ツタンカーメン)墓

 

ツタンカーメン王墓にて
ツタンカーメン王墓にて

 

ツタンカーメン王は非常に過酷な運命を辿ったファラオでした。エジプト新王国第18王朝末期の最後の直系王族でありながら、父親のアメンホテプ4世が一大宗教改革を行い、従来のエジプト王朝の伝統であった多神教のアメン神信仰から唯一神であるアテン神信仰に周囲の反対を押し切って転向し自身もアクエンアテン王と改名したのでした。仮に日本に例えて乱暴に言うならば、大化の改新で天智天皇がこれまでの八百万の神を全否定して、天照大神のみを唯一絶対神とすると宣言したようなものでしょうか?

しかしながら彼の死後、スメンクカーラー王、ツタンカーメン王と続くのですが、ツタンカーメンも8歳か9歳で即位し在位10年を経ずに急逝したと言われており、その後のファラオたちからはこの3代のファラオは異端とされてエジプト史からは抹殺された存在だったのでした。だからこそ他のファラオの墓が上にかぶさって、おかげでツタンカーメン王の墓は現代まで盗掘を免れたというある意味皮肉な結果ですが、そのおかげで、現代人の我々はそれらの素晴らしい美術品を鑑賞することができるという栄誉を享受できているわけです。

ともあれ、まぁツタンカーメン王にお目にかかるまでに今回は超ハードなハードルが立ちはだかりました。なにぶん行き当たりばったりだったので、手動車椅子は準備しておらず電動車椅子のまま突入したのですが、まぁ、通路が狭いのなんの。男手は自分だけなので全力を振り絞って、現地のスタッフにも手伝ってもらって、なんとか玄室まで辿り着き、ツタンカーメン王のご厚顔を拝んで、またなんとか地上に出ることができました。後から考えればですが、おぶって行った方がよほど楽だったでしょうね。いずれにしろツタンカーメン王関連はカイロでもここ王家の谷でも一才の撮影はNGですので内部での映像が残ってないのはちょっと残念です。

ちなみに前述しましが、エジプトの博物館や遺跡では入場料の他にフォトチケットというのがあり、フォトチケットを買えばツタンカーメン関連などの展示以外は自由に撮影できます。

 

 

ハトシェプスト女王葬祭殿

ハトシェプスト女王葬祭殿は、エジプト第18王朝の古代エジプト唯一の女性ファラオ、ハトシェプスト女王が造営した葬祭殿。本来はハトシェプストの夫である先代トトメス2世は息子であるトトメス3世を後継者に指名していたのですが、トトメス2世崩御時にまだまだ幼少だったために妻のハトシェプスト女王が以後22年間にわたり共治王を務めたとされています。しかしながらその在位中にはハトシェプストが絶対的権力を保有しており、公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられています。死後ハトシェプスト葬祭殿の壁画や銘文はようやく実権につくことができたトトメス3世によって削られるなどの破壊を受けたそうです。まぁ「海のオーロラ」を愛読した者としては当然の報いとは思います、が、古今東西、歴史は基本的に勝者が作るものですので、真実は真逆なのかもしれません。

ちなみにここハトシェプスト葬祭殿はデル・エル・バハリ(Deir el-Bahri。アラビア語で「北の修道院」の意味。後にコプト正教会の教会として使われていたため)とも呼ばれており、1997年11月のルクソール・テロ事件で外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生ましたが、その中には多くの日本人新婚旅行者とかも含まれていたりして、当時はとても心を痛めたものです。合掌。

 

ハトシェプスト葬祭殿全景
ハトシェプスト葬祭殿全景
ハトシェプスト葬祭殿
ハトシェプスト葬祭殿、参道のホルス像
ハトシェプスト葬祭殿神殿のファサード
ハトシェプスト葬祭殿神殿のファサード
ハトシェプスト女王像?
ハトシェプスト女王像でしょうか?公式の場では男装していたとされるので違うかも。
ハトシェプスト葬祭殿神殿奥から前庭を望む。
ハトシェプスト葬祭殿神殿奥から前庭を望む。逆光が眩しくて相互な雰囲気が出せました。
ハトシェプスト葬祭殿神殿最奥部の祭壇
ハトシェプスト葬祭殿神殿最奥部の祭壇
ハトシェプスト葬祭殿神殿最奥部の祭壇
ハトシェプスト葬祭殿神殿最奥部の祭壇前で記念撮影
ハトシェプスト葬祭殿神殿正面右側からの図
ハトシェプスト葬祭殿神殿正面右側からの図
ハトシェプスト葬祭殿神殿にさよなら
ハトシェプスト葬祭殿神殿にお別れ。
死者の谷の巨像
テーベの街から死者の谷に至る通路にはこうった巨像が累々と置かれてます。頭部を始めあちこちが破損しているのはまず間違いなくナポレオン軍の仕業と思われます。

 

カルナック神殿

 

 

この映像を見てピンとくる方は同世代の方々です。

そう!アガサ・クリスティー原作の映画「ナイル殺人事件」のワンシーンに出てくるまさにその場所!

石柱が何十本も屹立する迷路のような空間は筆舌に尽くし難い美しさなのです。

こちらも先述した「メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」と同年の1979年、世界遺産に「古代都市テーベとその墓地遺跡」として登録されています。歴代の王が寄進して増改築を重ね、拡張された巨大な複合体であり、中心はアメン神(アモン、アムン、アメン=ラー、アムン=ラー)に捧げられたアメン大神殿複合体(アメン=ラーの神域)となっています。

 

カルナック神殿、大石柱室
ナイル殺人事件のワンシーンに使われたカルナック神殿の大石柱室
カルナック神殿の大石柱室
ナイル殺人事件のワンシーンに使われたカルナック神殿の大石柱室。開花式パピルス柱と呼ばれてます。
カルナック神殿の大石柱室
カルナック神殿の大石柱室、奥に見えるのがトトメス2世のオベリスク

 

神殿内には見どころが数多と点在しており、ナイル殺人事件に出てくる大石柱室を始め、トトメス1世によって立てられた一対のオベリスクのうちの1本が現存しています。

 

トトメス2世のオベリスク
トトメス1世のオベリスク
ハトシェプスト女王のオベリスク
ハトシェプスト女王のオベリスク

 

この他ハトシェプストも一対のオベリスクを寄進しています。そのうち1本はトトメス1世の現存オベリスクの写真の左側に立っていますが、もう一つは下のスカラベの像の近く聖池の脇に先端部群が倒された状態で鎮座しています。

 

カルナック神殿スカラベ像
カルナック神殿スカラベ像

 

アメンホテプ3世が神に捧げた巨大なスカラベ。このスカラベを時計方向と反対に7回歩いて回ると、願いが叶うと言われているというわけで、みんなで回ってみた(汗。)目が回りました(笑)

 

 

 
カルナック神殿・アメン大神殿最奥部
カルナック神殿・アメン大神殿最奥部

 

ルクソール神殿

 

ルクソール大神殿第一塔門
ルクソール大神殿第一塔門

 

ルクソール神殿はエジプト第18王朝(紀元前1550-1295年頃[3])のアメンホテプ3世(紀元前1390-1352年頃[3])によってカルナック神殿の中心であるアメン大神殿の付属神殿として中心部分が建立され、その後のファラオが少しずつ拡げていった神殿複合施設です。カルナック神殿のアメン大神殿とは「スフィンクスの参道」で結ばれており、去った2021年11月25日にこの参道の修復完成の式典があったそうです。ちなみに自分らが行ったとはまだ復元修復中だったのでしょうが、とりあえず、カルナック神殿からは先が見えないくらいの立派なスフィンクスの参道が見れました。いやこれどこまで続くんだよ、と思ったものです。

 

スフィンクスの参道
こちらがそのスフィンクスの参道、現在ではカルナック神殿まで続いてるそうです。
ルクソール神殿
ルクソール神殿第一塔門のオベリスク

 

神殿入口となる第1塔門の前には1対のラムセス2世(紀元前1279-1213年頃)の坐像、門の左手にはやはりラムセス2世によるオベリスクが1本立っています。このオベリスクは本来左右2本ありましたが、右側の1本はここルクソール神殿からは失われています、が、現存してはいます。

さて、対のもう一本のオベリスクはどこにあるのでしょう??

答えはこの記事の最後で・・・・。これまでの記事を読んだ方なら想像はつきますよね?

 

ルクソール神殿アメンホテプ3世の中庭
ルクソール神殿アメンホテプ3世の中庭
ルクソール神殿ラムセス2世の中庭
ルクソール神殿ラムセス2世の中庭
ルクソール神殿 アメン神殿
ルクソール神殿 アメン神殿

 

神殿の最奥部にあるアメン神殿、アメンホテプ3世およびアレクサンドロス3世(紀元前332-323年)によって構築された祠堂。ローマ時代には、神殿およびその周辺は軍の要塞となり、その領域はローマ政府の基地だったそうです。

 

ルクソール神殿 アメン神殿
ルクソール神殿 アメン神殿 内の壁画
アブ・ハガグのモスク
アブ・ハガグのモスクはルクソール神殿の一部に建てられたモスク

 

このモスクは13世紀頃のイスラームの聖者エル=ハッジャージ(エル・ハガック)のために建立されたモスクなのですが、ルクソール神殿ラムセス2世の中庭の上に立っており、もともとは西暦395年にコプト教によって教会に改築されたものが、さらにその後640年にモスクに改築されました。ある意味ではこのモスクは最終的に3400年以上にわたる継続的な宗教的崇拝という見方もでき、それを持ってこのモスクを考古学的または観光目的以外の目的で少なくとも部分的に活動している世界で最も古い建造物と評価する向きもありますが、自分に言わせれば、過去の宗教の冒涜の上の冒涜である人類の恥の歴史の象徴としか思えません。

 

ルクソール神殿第一塔門のオベリスク
ルクソール神殿第一塔門のオベリスク

 

さて先ほどの答え合わせです。

件のトトメス2世のオベリスクの対のもう一本のオベリスク。現在ではフランスはパリのコンコルド広場にあります。コンコルド広場といえば凱旋門から続くシャンゼリゼ通りの終点。その真ん中に燦然と聳え立っているのがルクソール神殿のトトメス2世のオベリスクの片割れです。現在では「クレオパトラの針」と呼ばれていますが、クレオパトラより2000年近く古いものでこちらも1830前後にフランスにより略奪されたものです。コンコルド広場のオベリスクも学生時代に訪れてはいますので、写真は撮っているはずですが、その頃はモノクロにハマってたのでどうせモノクロだし、ネガだし、探すのも面倒だし、デジタルに起こすのも面倒なのでそのうち、フリー素材でも探してアップしますね。ってか映像見たければググった方が早いですね。まぁルクソール神殿のとほとんど変わりません。ただ周りの雰囲気は180度変わるのでそれはそれでフォトジェニックではあります。パリに行くことがあったらぜひ古代エジプトに思いを馳せてください。

 

エピローグ〜エジプト最終日・カイロにて・・

 

名残惜しいおよそ2週間のエジプトツアーも最終日。

カイロのホテルに戻って出発まで荷造りや散策を楽しみました。

 

カイル川観光船
カイル川観光船

 

今回カイロで宿泊したホテルはエジプトの母ナイル川沿いのホテルでしたので時間があればナイル川散策を楽しんでました。

最終日なのでいつもよりゆっくりと時間ギリギリまで散策。

 

 

ナイル川の観光馬車
ナイル川の観光馬車
ナイル川のニャンコ
ナイル川のニャンコ

 

ナイル川沿いはニャンコの宝庫でした。

この子はオッズアイなのですが片目の半分だけがオッズアイという変わり種。こんなニャンコには初めてお目にかかりました。

 

ナイル川のニャンコ
さっきのダブルオッズアイの子のパートナーなのか兄弟なのかじゃれあってました。

 

ナイル川のニャンコ

 

最後に!

最終日のホテルチェックアウト直前にホテルの窓辺に、脚が毛だらけの鳩が!!

宇髄天元か!ってくらいのド派手な鳩でした。

 

脚に毛生えすぎだろ!の鳩
脚に毛生えすぎだろ!の鳩

 

というわけで、エジプトツアー編を示させていただきます。

ご覧いただきありがとうございます。

この記事を書いた人

案納昭則

潜水歴四十年、総本数12000本を超える現役のSSI(スクーバ・スクール・インターナショナル)インストラクターでありJPS所属の職業写真家。
2003年にNHK「趣味悠々〜水中散歩を楽しもう(全7回)」講師を担当。上智大学外国語学部フランス語学科中退。
NPO法人沖縄県ダイビング安全対策協議会事務局長を歴任。

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