シンガポール紀行 2023.2.9 〜 2.16
記事が完成しないまま、アイスランドにも行ってしまったので、アップが大幅に遅れてしまいました。
コロナ明け、初めての海外旅行は大人の修学旅行。
大学時代のダイビングクラブ同期仲間とシンガポールで合流!
というのもこの時から遡ること数年、実にコロナ前から同期の親友の一人がシンガポールに単身赴任していて、コロナ前からシンガポールにいるうちに一緒にモルジブにでも行こうよー!とか言ってたのに、結局コロナで叶わず、で、この4月には日本に帰還するということになり急遽シンガポール同期会を企画したという次第。
今回は40年前に他界してしまった部長と、どーしてもコロナに感染したくないと言う女性一名が欠けましたが、後輩とはいえ昔から同期同然の6代専属マネージャーのMBAガリレオ博士を含めた5名の布陣。
男性陣はシンガポール在住氏の東京で言えば銀座四丁目交差点にある高級レジデンスに居候。毎晩プレミア物の高級ウィスキーを堪能させていただきました。
ありがとねー!
最高に御機嫌な時間を共有させていただきました。
目次
シンガポールという国
ちなみに自分はかつてダイビングのトレードショーへの出店でおそらく最低でも過去3回ほどは行っていると思うのですが、シンガポールでは最初の1980年代を最後に入国も出国もパスポートへの押印がなくなってしまったので記憶を辿って推察するしかありません。
そのシンガポール在住の同期というのがまた真面目なヤツというか職業柄と言うべきか、全員揃った滞在初日にシンガポールのお国柄と歴史を、彼のレジデンスのBAR.Saintにてウィスキーを片手にパワーポイントでレクチャーしてくれました。
こちらのお話は日本人としても是非ともシェアしておきたい内容なので、記憶にあるかぎりお伝えしておきますが、書きながら特に後半は自分の私見が大きく混じってしまいましたので、この文責はあくまでも私にあるとお考えください。
シンガポールの地勢状況
まずは簡単にシンガポールという国を地理的におさらい。
シンガポールはマレーシア半島の最南端のシンガポール島を国土とする都市国家で、人口は2021年で 545.4万人。面積は728.6 km²で、東京23区のみの面積が622km²なので東京24区より1割ほど広い国だと思ってください。ちなみに東京23区の人口はほとんど1千万人ですので人口密度はざっと東京23区の半分でしょうか。ただ、人口には計上されない国外からの出稼ぎ労働者は東京以上に多いと思われ、ひょっとしたらあまり変わらないかもしれません。
ただ現在では埋め立てが進んで国土は刻々と広くなっています。建国前の特に戦前はおそらく現在の60〜70%程度の面積しかなかったのではないかと推察されます。
今年還暦の自分より若い国
シンガポールは1965年8月9日にマレーシアから独立建国した非常に若い国です。
もちろん建国以前の歴史も深く、そもそも大航海時代から現在のシンガポールからマラッカ海峡は、インド洋から太平洋へ、そして、腐ってもシナはもちろん、当時黄金の国ジパングと称されつつも鎖国の状態にあった西欧にとっては幻の国であった我が国日本へ至る西欧列強にとっては喉から手が出るほど欲しい海運交通の要所なのでした。
と言うわけで元々この地には十五世紀ごろに現在のマレーシアを構成するマレー半島と共に、マラッカ王国という国が建国されました。
神話によるとこの王国はインド王家の血を引く王族が建国したのですが、間も無く西欧で大航海時代が始まり、マラッカ王国はまずはポルトガルの侵略を受けて1511年に滅び、マラッカ王は現在のマレーシア最南部に逃れシンガポールを含むするジョホール水道に移動してジョホール王国を建国します。
時は流れ、1818年、スマトラにあった悪名高きイギリス東インド会社の植民地ベンクレーン副総督(準知事)として赴任したトーマス・ラッフルズがマレー半島南端の島シンガポールの地政学上の重要性に着目してこの地に上陸、先のジョホール王国の内紛に乗じてシンガポールを獲得し、1819年にはイギリス東インド会社の商館を建設してしまいます。
そして1824年には正式にイギリスの植民地となり、イギリスはこれ以降、東アジアにおける植民地政策の主導を握ることになり、英国によるアジア植民地政策が加速し、それに呼応するように日本における幕末の攘夷開国運動、明治維新と繋がっていくのでした。
トーマス・ラッフルズは本当にシンガポールの英雄なのか?
Sir Thomas Stamford Bingley Raffles、1781年7月6日 – 1826年7月5日
現在のシンガポールでは東インド会社の総督であったトーマス・ラッフルズはいかにもシンガポールを開拓した英雄のようにもてはやされています。
世界的に有名な「シンガポール・スリング」というカクテルはラッフルズ卿の名前を冠する、シンガポールで最も歴史が古く、最も格式高いとされるラッフルズ・ホテルのバーで考案されたカクテルです。
ちなみにラッフルズの名前を営業に使うためにはシンガポール政府の許可が必要とされるほどの、肖像権一つとっても別格レベルの扱いだったりします。
トーマス・ラッフルズは典型的な帝国主義の支配者でありただの暴君に過ぎなかった!
確かにほとんどジャングル同然だった当時のシンガポールを開拓して、都市開発を始めたのはラッフル卿に違いありません。
しかしながら、基本的に太平洋戦争以前の世界は白人至上主義の上に成り立っており、アジアの各国は日本以外の全ての国が欧米列強の植民地と化していました。その支配の苛烈さは熾烈であり、現在進行形で行われている大国による横暴、暴虐としては、中華人民共和国によるチベット自治区、ウィグル自治区に対する人権無視の暴虐行為然り。そして大国ロシアによるウクライナへの一方的な戦争然り、ですが、当時の欧米によるアジア・アフリカ地域の植民地ではそれに勝るとも劣らない過酷な状況だったでしょう。
当時の英国がシンガポール、インドを含め、世界中の植民地で行ってきたことは今のシナやロシアと同じどころかそれ以上の、現在の国連人権委員会の言葉を借りるなら悪魔的な所業なのでした。
ま、そもそも今の国連人権委員会自体も終わってますけどね。
トーマス・ラッフルズはまぁ国の方針とはいえ任務を粛々とこなしただけといえばその通りなのですが、この国でこの人物がいまだに英雄視されているのはどうなんだろうとは思います。
ひょっとしたら頭のいい現在のシンガポール政府のリーダーたちは、シンガポールを観光国家としてアピールするためにシンガポールとしては本来は憎むべき宿敵であったはずのラッフルズを持ち上げて、相対的に戦前の日本を悪者にすることを選んだのではないかと思うのでした。
シンガポールだけでなく全てのアジアを解放したのは私達ニッポン!
結局、先の対戦では、日本は確かに当時の国際法上では敗北はしましたが、考えてもみてください。当時のアジア諸国はあの支那に至るまであらゆる国が西欧列強の植民地となっていて、現地の人々はおおよそ人権のカケラもない地獄の中で悶え苦しんでいたのです。
アジアでその当時独立を保っていたのは唯一日本だけでした。
その日本がアジアを西欧の植民地支配から解放しようと、大東亜共栄圏という概念ができました。この大東亜共栄圏というのは簡単にいうとアジアはアジアで共通の文化圏として共に発展していこうという、現在のヨーロッパ共栄圏(EU)の発足当時の理念と全く同じで、はっきり言ってEUは日本がアジアで提唱した大東亜共栄圏を思いっきりパクっただけなのです。そして最終的にアメリカの汚いワナに引っかかって「開戦せざるを得なくなる」わけなのですが、この辺は長くなるので先のねずさんブログで勉強してください。
戦後現地に残った日本人の義勇軍なども手伝ってアジア各国は次々と独立を果たします。どうですか?これだけでも皆さんが教えられてきた歴史は嘘だとわかるでしょう?
ちなみに日本は世界で一番古い国家です。実に今年で建国2683年を迎えました。初詣に行かれた方なら神社の傍に「祝!皇紀2683年」などと書かれているのをみたことがあるでしょう。今の令和天皇陛下につながる初代天皇陛下神武天皇が即位の「詔」をなされてから今年、令和5年は皇紀2683年にあたります。ちなみに次に古い世界の王朝といえばデンマーク王家でおよそ1000年。格が違うのですよ。だから国際的な場で天皇陛下がご列席されるときには常に天皇陛下は最も上座におわします。驚くべきことにマスゴミがそのことは報じたことは自分が知る限り一切ありません。日本人はもっとこのことを自ら誇るべきだと思います。
日本がいつまでも日本であるために、日本という国と、日本人の本質を今一度再認識し、次の世代に受け継ぐために、ぜひ、私が敬愛する小名木善行氏のブログ「ねずさんのひとりごと」をご購読いただき次世代の日本人に伝えていってほしいと心から願います。
現在のシンガポールは一見華やかに見えますが、実は厳しい格差社会。
確かに若い国ながら、世界に冠たる情報社会のシンガポールですが基本的には華僑の国。
少なくとも中国共産党に毒されてないところはまだマシだとはいえます。
多いのはフィリピンやシンガポール、インドネシアからの出稼ぎです。
セレブのメイドから日雇い労働者まで様々な階層がいるようです。
シンガポールでもオーチャード通りという、日本で言えば’銀座のようなメインストリートでも週末になるとフィリピンのメイドたちが情報交換のために集結している場面も見かけました。
しかしながら戦後、奇跡の経済回復を成し遂げたけど、情けない政府と官僚の愚策によって現在進行形で国力が衰退に向かっている我が日本国と現在のシンガポールを比べると学べるところはたくさんあるはずなのです。
現地駐在員による観光ガイド
2/10 シンガポール滞在1日目
とりあえず貧乏旅行の私は溜まりに溜まったDelta デルタ空港のフライマイルを使って沖縄からChina Air 中華民航で台北経由で向かったので他のメンバーよりかなり早く、というか9日の日付も変わろうという深夜にシンガポール入りしてしまいました。それなのに親友のI氏、快く空港に迎えに来てくれました。忙しいのに本当にありがとう💦
早速ここから彼の高級レジデンスHotel Saintに居候。当然、日本に持って帰るわけにはいかない開封済みの彼のコレクションの高級ウィスキーを堪能しながら遅くまで部屋飲み。
翌朝はのんびり起きて早めの昼食。昼食はパクテーという海南ライスと並ぶシンガポールのローカル・フードの名店、亞華肉骨茶餐室。グルメ系は後ほどまとめてご紹介します。
他のメンバーが到着するのはこの日の夕方。まだまだたっぷり時間はあるので、昼食後に連れてってくれたのがフォート・カニング・パーク Fort Canning Park。
フォート・カニング・パーク Fort Canning Park
シンガポールに来るといつも印象に残るのが緑地の広大さと街路樹の多さとデカさ!残念ながら沖縄は情けなくも比較の対象にすらなりませんが、東京にも皇居や明治神宮などの大規模な緑地というか皇室由来の聖地はありますが、東京の緑地は毎年減り続けているのは周知の通り。その上東京都は現在、神宮外苑の銀杏並木も切り倒す暴挙すら進めているという無能ぶり。
一方、Googleマップで航空写真表示をご覧いただければ明らかですが、ここシンガポールは島のおよそ30%ほどは緑地に見えます。ちなみに東京23区では皇居と明治神宮、赤坂離宮、浜離宮以外は、比較的小規模な緑地しか散見されず、おそらく緑地は全体の5%程度と思われます。
実際、シンガポールを車で走っていると、こんなに狭い国土なのに、こんなとこに死体を遺棄したら当分見つからないんじゃないかと思われる密林のようなジャングルがそこかしこにあったり、都心のメインストリートの街路樹も半端じゃないくらいでかいのでした。
シンガポールは熱帯に属し、ほとんど赤道直下ですので雨季と乾季ははっきりしてはいますが、日本のように台風のような気象の大災害もなければ、地質的に安定しているので日本みたいに大地震のリスクもない。しかも熱帯だから放って置いても樹木は勝手に大きくなるわけで、あまり手を加えなくても緑が多くなるのは必然なのでしょう。さらにシンガポール政府は日本と違い、緑地を意識して残しているそうです。ただ、だからシンガポール政府が優れているとは言いませんが・・
(今の日本の政治家や官僚を観察する限りシンガポールの方々の方が間違いなく1000倍優秀です・・)
愚かなる日本の為政者らを擁護するなら、災害の多い日本では仮にそんな巨木が街路樹になっていると、万一にも大地震が起こるとその存在自体が大きなリスクになりますので、巨木になる前に伐採せざるを得ないでしょう。実際シンガポールの街路樹の大木を見るといつも思います。こんなの万一台風とか地震で倒れたら周りの被害は半端じゃないだろうな、と。ま、その程度のことは中学生の学級委員会でも考え付く議案ですけどね。
あっ!!またまた話が大きく逸れてしまいました。
ここでお伝えしたいのはフォート・カニング・パークの魅力なのでした😓
まずはフォート・カニングとは何ぞや?ですが ”fort” 「フォート」ということは軍事的な砦だったことは明白です。
さて現在のフォート・カニングに程近い、これまた現在のマーライオンがあるあたりに1819年に上陸したラッフルズは、すぐ近くに見える小高い丘に目をつけ、この地に邸宅を構え、シンガポールの街づくりを推し進めて行きます。ちなみにラッフルズ邸は現存してますが、今でこそフォート・カニングの周辺は埋め立てによって海は遥かか彼方に後退してしまったものの、当時はシンガポール海況を見下ろす要衝であったがために、1824年正式に英国の植民地となってからは戦略的要塞として整備され、今なおその痕跡が残されている場所なのです。
ちなみにシンガポールの先住民であるマレー人たちは古くからこの丘を「ブキット・ラランガン Bukit Larangan」「禁じられた丘」と畏怖されていて、この地は古代のシンガプラ王国の王たちの墓所であったと言われ、王族の霊が鎮まる地だとの信仰があり、それ以前にはかつてはここに宮殿があったとも信じられているそうです。全くもって有色人種の歴史や人権など全く意に関し無い、植民地時代の西欧人の暴虐ぶりには呆れ果てる限りではある。
現在ではここォート・カニングはそのまま公園として整備されており、砦が整備された19世紀初頭の砲塔や砦の重厚な門、当時は機能していた灯台、ラッフルズ邸などが現存しており、英国軍司令部を再現した地下博物館「バトル・ボックス」などが公開されています。
現在は緑豊かな公園ですが、要塞が機能していた当時はもちろんこれらの植物はなかったでしょう。戦後、というか建国以降、この周辺はある程度自然に任せ、ながらも、必要最低限の人為的なコントロールが施された結実、天然の植物園となっていったのです。植物学者であった昭和天皇陛下がご覧になられたらさぞ夢中になったことでしょう。
ロケーション的にはここはシンガポール最大の繁華街であるオーチャード・ロードに接しているぐらいなので、東京に置き換えればちょうど歌舞伎座あたりに明治神宮の森がドン!とあるようなものではなかろうか?しかも神域とされる皇居や神宮の森とは違い誰でもいつでも好きな時に散策できるのである。ただし公園の中心にあるフォートカニング貯水池というエリアは立ち入り禁止のようです。まぁ先の「禁じられた丘」のエピソードを鑑みれば、ここ全体を神域として立ち入り禁止にした方ががいいのではないかと自分のような宗教観を持つ者としては考えるところではある・・・
念の為ことわっておきますが、皇居や神宮の森に一般市民が入れないことを批判しているわけでは決してございません。都心で残された神域は神域として当然尊重されるべきなのであって、むしろ神域として残されているが故に、昨今の腐れきった政治家や官僚、大企業に不当な搾取を受けずに済んでおり、江戸以前からの古来の自然が今なおここには残されているのです。
余談ですが、沖縄の特に山原の自然が保たれているのは、100%米軍がいるおかげと言っても過言ではありません。米軍の管理下にあるからこそ山を切り開いて道を作ることもできずに世界遺産になりました。日本復帰後すぐに米軍が引き上げていたら、沖縄の固有種はほとんど失われていたであろうと断言します。
とまれ、フォート・カニング・パーク、ひとときの散策ではありましたが本当に森林浴に心が洗われたひとときでした。
フォート・カニング・パークでの森林浴で癒された後は、他のメンバーを迎えるために再度空港へ!
とにかくこの空港、世界一の空港でした。
シンガポール・チャンギ国際空港の Jewel Changi Airport
フォート・カニング・パークで時間を潰した後、他のメンバーを迎えるために再度空港へ!
とにかくこの空港ヤバい。10年ほど前までにはモルジブへのトランジットで何度も通過したけど、その頃とは想像もつかないほどの進化を遂げていた。そもそも空港自体がテーマパーク。この空港で遊ぶためだけにシンガポールに飛ぶ価値があるくらい。とにかくこの空港はおおよそ世界一のエンターテイメント空港だと思われる。機能が完璧に崩壊していて送迎や島外に飛ぶ時以外は立ち寄りたくもないどこかの那覇空港とは雲泥の差、那覇空港にチャンギ空港の爪は無理ならコンクリートの垢でも煎じて、宇髄天元様並みにド派手に降り注いでもらいたいものだと思う。
ちなみにシンガポール・チャンギ国際空港には現在第4ターミナルまであり、現在第5ターミナルが建設中。
Jewel Changi Airport ジュエル・チャンギ・エアポートはその中心に位置するまさにテーマパーク!
マジでここ!子供から大人まで、家族ぐるみで遊べる極上のエンターテインメント空港なのでした。
さて15時30分前後の便で相次いで2名が到着、その後最後の1人が17時30分ごろの到着だったので、しばし Jewel Changi Airport の滝なんか満喫しつつ、滝を見下ろす最上階のバーに向かいました。
Jewel Changi Airport の顔・巨大な人口滝
もうこれだけで度肝を抜かれます。到着階レベルからアクセスすると映像にある滝壺の周回レベルで、もうマイナスイオンが半端じゃないです。癒されます。ただし、風向きによっては濡れるのご注意くださいね。
ショッピングモール
こちらには世界的に有名なトップブランドを含めた専門店が100店舗以上入ってます。おそらく余程のマニアックな系統でない限りはまず有名ブランドは全て入ってると思っていただいていいでしょう。
飲食店街
最上階の滝を上から見下ろせるJewel Changi Airport の最上階 Canopy Park にあるバー “PRIVÉ” には皆を迎えに行った日と、最終日に立ち寄りました。たっぷりのマイナスイオンと緑豊かな景色を堪能しながらのお酒はまさに「ぬちぐすい(命の薬:沖縄方言)」です。
もちろん地下には巨大なフードコート、スーパーも。マジでこの空港、映画「ターミナル」では無いけれど、この空港なら十分快適に住めると思います💦 コストはかかるでしょうけどね。
映画館
映画館もあります。この時は「スラムダンク」やってました。
その後一度レジデンス “Hotel Saint” チェックイン💦
夕食はシンガポール随一のゴルフクラブ併設のレストランで高級中華を満喫。
2/11 シンガポール滞在2日目
この日はまずはセントーサ島 Sentosa へ!
自分が最後にシンガポールに行ったのはおそらく2006年。当時のセントーサ島はマーライオン・タワーとビーチがあったくらいの高級住宅地と言った印象。観光客はセントーサ島とシンガポール海峡を見下ろせる標高115mの海を見下ろす丘、Mt. Faber から、セントーサ島を結ぶロープウェイSingapore Cable Carに乗ったり、マーライオン・タワーに登るくらいしかなかったと記憶していますが、15年以上たった今では、水族館もあれば、ユニバーサル・スタジオもあるしカジノもある。おまけに高級ホテルやゴルフクラブもあるという一大観光スポットに変貌を遂げておりました。
ですが、我々がセントーサ島を目指した目標は水族館だけ😅 ま、ダイビングクラブの同期仲間ですので💦
ちなみにセントーサ島からHarbourfrontというクルーズ船ターミナルを見下ろして、セントーサ島とシンガポール海峡を一望できる対岸の丘、ファーバー・マウンテン Farbar Mt. を結ぶ Singapore Cable Car。今回は行きませんでしたが、このファーバー・マウンテン、自分的にはシンガポールでのお気に入りの場所の一つ。そして、高所恐怖症の自分でもオススメするのが Singapore Cable Car です!シンガポールを訪れた際にはぜひ乗ってみてください。ちなみにファーバー・マウンテンからセントーサ島に降りる方がオススメ。ま、おそらく多くの観光客はセントーサからの往復になるのでしょうか?
下のショート・ムービーはセントーサ島から対岸のシンガポール島を見たところ。さらに右に向かってファーバー山に登っていきます。
S.E.A Aquarium(シンガポール水族館)
さて何度かシンガポールには来ている自分にとっては、昔はなかったこの水族館は何を差し置いても行きたかったところでした。
なんと言っても、興味を惹かれたのは、この水族館、水槽の中に潜れるんです!そんな水族館聞いたことがありません。沖縄の美ら海水族館でも大水槽の中にダイバーがいることは時々見かけますが、もちろん餌付けのショーやアクリルの清掃をしているスタッフだけです。
そう、ここでは他の観客が見守る中、大水槽の中でダイビングすることができるのです!
俄然やる気満々だったのですが、時すでに遅し、このアトラクションは週末のみの1日5名限定で、しかも半年前ぐらいには予約で埋まっているらしい。そりゃそうだよね。今回は水槽の中でのダイビングの模様は残念ながらお届けすることはできません。近いうちに絶対チャレンジします!
ちなみにこのダイビングの正式名称は “Open Ocean Dive“
水族館からではなく隣接するAdventure Cove Waterpark からのエントリーで潜水時間はおよそ30分。2023年8月現在、費用は Adventure Cove Waterpark の入場料込みで SG$327です。
で、このS.E.A アクアリウム、大水槽では世界一なんだそうで。でも実際に見たところ美ら海水族館の方が大きいやん!という印象でしたが、ちなみに。
1. S.E.A アクアリウム(W 36m x H 8.3)
2. ドバイ水族館&アンダーウォーター動物園(W 32.88m x H 8.3)
3. 美ら海水族館(W 37m x D 27 x 水深10)
なのだそう💢 沖縄県民としてはちょっとイラッとする結果に。
とはいえ実際に見た感想では、美ら海の方が全然大きく感じました。なんでだろう?
で、色々ネット検索してみたのですが、世界一の大水槽っていうランキングではどうやらメインのアクリルパネルの大きさで比較されているようで。おい!そこは容積やろ普通は!とツッコみたくなるのですが、美ら海水族館のデータはアクリルパネルの高さではなくて水深なのでした。微妙・・・
で、さらに調べました。S.E.A アクアリウムの総水量は約45,000立法メートル、これは全ての水槽を含めた数値。ドバイ水族館は同じく10,000立法メートル。対して、沖縄の美ら海水族館のホームページでは「黒潮の海」と呼ばれる大水槽は、深さ10m、幅35m、奥行き27mもある世界最大級の大きさを誇り、沖縄美ら海水族館の総水量が約10,000立法メートルでそのうち4分の3にあたる約7,500立方メートルもの水量がこの水槽に使われていると明記されております。
なんでS.E.A アクアリウムがNo.1ってなってるのか、は、まぁ、シンガポールの政府観光局の努力の賜物なのでしょうか??この辺の逞しさはぜひ沖縄や日本も見習うべきでしょう。
ちなみに世界一の水族館で検索すると、中国広東省珠海市にある「海洋王国」と出てきます。これもイラッとするところではありますが、確かにデータ上では総水量48,710立法メートルで大水槽が22,700立法メートルで、いずれも群を抜いての現在の世界一でギネス認定を5つも取っているのだとか。ま、と言っても所詮は中国、安全性や質はいかがなものかと思わざるを得ません。アクリルパネルは間違いなく日本製だと思われますが。
ちなみに世界の大型水族館に使われている大水槽のアクリルパネルはほぼ100%メイドイン・ジャパンです。
やっぱりクラゲは癒されますね。この Fried Egg Sea Jelly というのは自分も初見です。大西洋や地中海の種類らしい。
リトル・インディア 文化地区
昼食はインド料理、フィッシュカレー美味かった。その後リトル・インディア散策しながら沖縄でいうところの公設市場へ。
Tekka Center テッカ・マーケット
今年リニューアルオープンしたばかりの那覇市牧志公設市場ですが、昔の那覇市牧志公設市場を彷彿とさせつつ規模を三倍ぐらいにした市場でした。一階はまさに昔の那覇市公設市場。二階はかつての公設市場衣料部そのまま。ま、沖縄に比べたら品揃えは少し派手目かな。ヒンズーだからかは知らないけど、那覇の平和通りやタイのパッポンのようなエロいTシャツはありませんでした。
Mustafa Center ムスタファ・センター
次にお土産物ものでも物色してみようと、ムスタファ・センターへ。ここはあのドンキホーテが開業時にモデルにしたとも言われる、シンガポール最大のショッピングセンター。しかも24時間営業!
沖縄にあるメガドンはともかく都市部にあるドンキに比べたら敷地面積が半端じゃないのでひと回りするだけで一苦労。イメージとしては郊外型の平屋のメガドンが地上四階、地下二階ある上に店内の陳列やレイアウトはほとんど都市部のドンキホーテ。
物価が高いイメージのシンガポールでもここはリトルインディア、格安にお買い物が楽しめるというわけです。
カンポン・グラム地区
なんだか雲行きが怪しくなりつつある中、リトル・インディアに隣接する今度はアラブ人街、カンポン・グラム地区へ。ここは古い街並みとカラフルな建物に飲食店や衣料品店、雑貨店などが立ち並ぶ原宿の竹下通りのような若者文化が入り混じったユニークなエリアです。
ちなみに「カンポン kampong」はマレー語で「村」。また、「グラム gelam」はシンガポールでは一般的な葉の長いフトモモ科の樹木のことで、地元ではこの木を利用してボートを作ったり、薬や料理の調味料として使ったりしていたそうです。
アラブ人街なのに何故にマレー語?というと植民地時代にあのラッフルズがこのエリアを、インド人街のリトルインディア、中国人街のリトルチャイナ、と共にマレー系、アラブ系、ブギス系のコミュニティとして割り当てたからだそう。
さてBeach Rd という大通りのHaji Ln(ハジ・レーンかな?)という日本で言えば竹下通りみたいな通りの入り口で車を降りた我々は。カラフルでさまざまなグラフィティが施された建物にバーやカフェなどの飲食店や雑貨品店などが立ち並ぶ通りをしばし散策、で、我々には目的地については知らされておりませんが、ついたところが金色の尖塔も鮮やかなサルタン・モスク。
Sultan Mosque サルタンモスク
別名 Masjid Sultan マスジッド・スルタン、シンガポールには他にも多くのモスクが点在しますが、ここはシンガポールのイスラム教徒のコミュニティーの中心地です。
サルタンモスクは、1824年、シンガポール初のサルタンである Sultan Hussein Shah サルタン・フセイン・シャーのために建設されましたが、その際にラッフルズは、このモスクの建設に$3,000を「融資」したらしい。まぁ明らかに売名行為。寄贈ではなくて融資というところが流石にケチな英国人の所業です。自国の英国国教会ならともかく、異教のイスラム教に寄付なんてできるか!という上から目線の残念すぎる悪意も感じます。
あらあらまたまた脱線してしまいました^^; 話を元に戻しますね。
完成から100年後、建物老朽化により修復する必要に迫られ、1920年新たな設計で改築されて現在に至ります。
モスクにはモルジブの首都マーレの Hukuru Miskiy フクル・ミスキー には機会さえあれば行ってるし、エジプトでも行ったかな?ま、作法程度はわかります。
ちなみに入場は無料です。当然ですが、館内は土足禁止です。靴箱や階段部分に履き物を脱いで入館します、短パンなど肌の露出が多い服装の方は、入口で長袖のパンツやガウンを無料で借りることができます。
自分は今回短パンでしたのでアンダーだけお借りしました。
さてさてモスクを出たらなんだか空が超やばい感じになってたので、とりあえず近くの商店街に避難して、迎えを呼ぶも、乗るまでの一瞬でびしょ濡れ😭
さてびしょ濡れになったので一旦レジデンス “Hotel Saint” に戻って着替え。
その後人気のシーフードレストランを堪能したのち、シンガポール名物、シンガポール動物園のナイトサファリへGO!
シンガポール動物園名物「ナイトサファリ」
賛否両論のあるシンガポールのナイトサファリです。自分は今回は2回目だけど結構好きな方ですっ!
夜の動物園を見れるところってあまり無いですよね。特にネコ科動物とかは基本夜行性だったりするので、昼間は寝てる姿しか見れなかったりしますので、夜の動物園ってのは新たな発見があったりします。
前回はまだ若かったので時間をかけて隅から隅まで歩いて廻ったものですが、今回は流石に全員還暦間近の年寄連合、なのでトラムで楽々一周しました。降りてから少しだけウォーキングもしましたが、やっぱり体力があるなら楽をしないでちゃんとゆっくりと歩いて自分の足で歩いた方が十倍楽しめますね。
カメラの不調でほとんど映像は残ってません。結局I氏が撮影したiPhoneの映像が一番まともに撮れてました。iPhone恐るべし!
2/12 シンガポール滞在3日目
マーライオン Merlion 〜 マリーナ・ベイサンズ Marina Bay Sands Singapore
まずはシンガポール観光ではお約束の名物・マーライオンへ!
このマーライオンはご存知の通りライオンの頭部と魚の体躯を持つというシンガポールの象徴とされる架空の動物。ですがその昔は、コペンハーゲンの人魚姫像 (デンマーク)、ブリュッセルの小便小僧 (ベルギー)、に並んでかつては「世界三大ガッカリ」という汚名を着せられていました。
そもそもこの像は、1972年にシンガポール川の河口に作られ、当初は口から常時水を吹き出しており、それなりの観光名所だったのですが、当時のマーライオンは港の先端の桟橋の灯台があるようなところに据えられていたので、本来、ボートで近づかない限り真正面を見ることができなかったそうです。その後、近くに橋が架けられたり、ポンプの故障で水が出なくなったりといった不運も重なり、自分が毎年行っていた頃は「行く価値なし!」というレッテルが貼られていたので、今回実物のマーライオンを見るのは自分も初めてなのでした。まぁ、そもそも仕事で行ってるので観光している場合ではないのですが💦
現在の地に移築されたのは2002年だそうなので、自分が毎年行ってた頃はもうすでに今の姿になってたのかもしれません😅が、マリーナベイ・サンズの開業が2010年ですから当時の周辺のエリアはまだ埋め立てが進んでいる最中だったと思われます。
まぁ、リニューアルして四方八方から見れるようになったとはいえ。まぁ。その程度?インスタ映えする映像を撮るにはいいかもしれませんが、それだけといえばそれだけかな😅
とりあえずお登りさん気分で定番ポーズの写真撮ってみました。本当は日が落ちてからのライトアップの中で撮るのがオススメなのだとか。
近くには小さなマーライオンの像もあります。母マーライオンは海のほうを眺め、ミニはシンガポール本島を見守るかのように、お互いに背を向けあってます。これも昔の場所から移築されたもので、あとは先述した、セントーサ島の展望台付きのでっかい父マーライオンもかつてはありましたが、今ではすでに解体されており現存しません。
そしてこの日の昼食は今回の旅のメインイベント・・・
ラッフルズ・ホテル Raffles Hotel のアフタヌーンティー
シンガポールではどこに行っても必ず鬱陶しぃほどに付き纏う忌まわしきラッフルズですが、やっぱりここラッフルズ・ホテルはシンガポール一の格式あるホテルであることには違いありません。宿泊までは叶わなくても、ここのアフタヌーン・ティーはぜひ一度贅沢しても体験してみるべきでしょう!
これまでのシンガポール行きは、ほとんど仕事がらみの男だけの二人旅だったので間違ってもこんなセレブなところに行くわけもなく、毎日毎食屋台の食べ歩き。もちろん自分も初めての経験でした。
I氏が予約していてくれたのはシャンパン付きのアフタヌーンティー。しかも特等席!感謝、感謝です!
まずはシャンパンで乾杯!
そして数種類から選べる極上の紅茶のラインナップ。どれを選ぶか迷います。メニューの写真撮っとけば良かった😭 けど上のリンクから飛べますので、ゆっくりご覧ください。
自分はRouge Operaを選択しました。
そしてここから英国式のアフタヌーンティーのコースがまさにタワーとなって展開します。サンドイッチに、スイーツ!どれもこれも極上!さすがラッフルズ。
特に極上なのが、ローズジャム。毎朝合わせていて賞味期限24時間なので販売は一切ないありえない。ここでしか味わえない逸品!
アガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」だの「ナイル殺人事件」とかの血生臭くなる前の優美なワンシーンが今目の前に😅 わかる人にはわかってもらえると信じて😂
ゆっくりとアフタヌーンティーを楽しんでいたらおもむろにハープの生演奏が始まりました。うーん優雅!
最後にラッフルズホテル名物のドアマンと一緒に記念撮影!
ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ Gardens by the Bay ・・は返上して緊急会議!
さて優雅なランチの後は再びマリーナ・ベイサンズ周辺に戻ってガーデンズ・バイ・ザ・ベイ Gardens by the Bay という植物園を楽しむ予定だったのですが・・・チケットを買うために並んでいたら後方から奇声が!ここでなんと想定外の大事件が勃発!
もう時効?だからバラしてもいいかな?💦
というのもコロナ明け直後の旅なので、今回基本メンバーは全員コロナワクチンを所定数受けて証明書をもらってシンガポール入りしてたのですが、一人だけ職業柄アンチ・ワクチン派で、コロナワクチン一回も受けていないということで、まずは日本国内で陰性証明を受けてシンガポール入りし、シンガポール国内で再度陰性証明を受けなければ帰国できないという制約があったのです。そのため帰国に向けてこの前日のモスクに行く前に近くにあるラッフルズ・ホスピタルRaffles Hospital でPCR検査を受けてたのでした。で、その結果がメールで届いたらしく、その結果がまさかの陽性😭
えー!もう青天の霹靂!
結局植物園は諦めて “Hotel Saint” に戻って今後の対策協議😅
とりあえず本人含め全員簡易検査では陰性。何でや!ってなったんだけど、よく聞いてみると、というか事前にFacebookの記事とかで確かに読んでたような気もするんだけど、当の本人、シンガポール入りの1週間ほど前までコロナ陽性で所定の隔離生活を送ってて、期間終了後間もない状況での渡航なのでした。
日本では隔離期間終了という事実のみで検査なしで陰性証明をもらえるんだけど、シンガポールでの検査時にはまだ隔離期間を終了して日が浅く、そのため痕跡が残っていて陽性になってしまったようなのです。これはよくあることで、自分も一度陽性になって自主隔離終了後、念のために検査を受けたら陽性。これは検査受けるだけ無駄というか、むしろ日本国内では公費の無駄遣いになる行動なのだそう。確かに罹患時のパンフレットをよく読むと自主隔離終了後にはPCR検査は受けないでくださいと確かに書かれてありました。で、結局これに引っかかったのでした。でも陽性が出てしまった以上、飛行機には乗れないわけで、これからあーだこーだと帰国に向けた試行錯誤が日本一のブレインによる知識と経験を総動員して始まるのであった😅
何と言ってもメンバーは某航空会社関連会社の社長、大手商社の取締役、MBAの大学教授、都内の有名商店街のエステ店社長に、沖縄の廃業寸前のダイビングショップオーナー😭
なんとかなる!ということで、とりあえず今現在できうる対策は一通り済ませて、気を取り直して、夕食へ。
夕食はモダンなシンガポール、というかプラナカン料理を堪能。その後再度マリーナベイ・サンズに戻ります。
マリーナベイ・サンズ・の噴水ショー “SPECTRA 光と水のシンフォニー”
開演時間
- 日~木:午後8時、午後9時
- 金、土:午後8時、午後9時、午後10時
- 独立記念日パレードのショーおよびリハーサルのため、スペクトラの開演時間は以下のように変更されます:
7月2日(日) 午後8時30分、午後9時30分
7月8日、15日、22日、29日(土)午後8時30分、午後9時30分、午後10時30分
8月9日(水)午後8時30分、午後9時30分、午後10時30分
これはなかなか見応えのあるショーでした。まぁ、ラスベガスのベラージオの噴水ショーに比べたら迫力は今ひとつですが、演出が素晴らしい!
シンガポールに行ったらぜひ体験していただきたいアトラクションの一つです!もちろんタダで見れます!
余談ですが、この噴水ショーの傍にはApple Store Singaporeがあります。実はシンガポールにはあのJewel Changi AirportにもApple Storeはあるのですが、ここのApple Storeには度肝を抜かれます。噴水ショーの左手の海に浮かぶドーム状の建物で、アクセスは地下のエレベーターから。ニューヨークのApple Storeにも行ったことはありますが、自分が知る限り世界一ゴージャスなApple Storeだと思います。まぁドバイあたり行ったらもっとド派手なのかもしれませんが・・・
このショーが行われるマリーナ・ベイサンズの前の海の片隅にはユニークなApple Storeもありました。水上に浮かぶApple Store。アクセスはマリーナ・ベイサンズの地下から。いやはや実にゴージャスなApple Storeでございました。
2/13 シンガポール滞在4日目
この日は自分以外のメンバーが帰国する日。
さて最後はどこ行くー?と前夜の ”Bar Saint” にて。男性陣、特に博士はちょっとキワモノのテーマパーク、あのタイガーバームがスポンサーのハウ・パー・ヴィラHaw Par Villa を押す声が多い中、紅一点?の「ヤダ!」の一言でインスタ映えの街並みで有名なカトン地区に決定!
カトン Katong 地区
シンガポールはそもそも多民族国家。華人(The Chinese、)マレー系(The Malays、)インド系(The Indians、)など、さまざまな人種がそれぞれの文化・宗教を尊重しながら共生する都市。
プラナカン The Peranakans とはマレー語で「地元生まれの子」という意味を持つ言葉で、一般的には東南アジアに移住した華僑と現地マレー人との間に生まれた子孫のこと。
15世紀後半、中国からマレーシアやシンガポールにやってきた貿易商人の一部は、マレー女性と結婚して家庭を持ちこの地に定住するようになりました。その子孫たちが中国、マレー、そしてヨーロッパの文化を融合させた独自の文化「プラナカン」を育み、貿易・異文化の交差する地、ここシンガポールとマレーシアに東南アジア独自の文化を花開かせ定着したのです。
ここカトン地区(Katong)では、その独特なプラナカン文化の一端を垣間見ることができます。
カトン地区はシンガポールの中心部とチャンギ空港のちょうど真ん中辺にあるエリアで、プラナカン文化の香り高いカラフルな街並み魅力的な街。インスタ映えするということで特に女性には人気があるスポットです。
こちらは上の写真のメイキング画像😀
“Hotel Saint” にもどって帰国準備、再び JewelChangi Airport へ。自分は最初に食べたけど他のメンバーはまだ体験していない郷土料理、肉骨茶(パクテー)が食べられる本格的な飲茶の店で夕食。タイミングよくちょうどやっていたディズニー60周年記念?の噴水ナイトショーを満喫して、privé” でこの旅最後の乾杯を交わして、次は沖縄でのダイビングを約束し、22:00前後を目安にメンバーは順次帰国していきました😭。
残ったのは本来予定にはなかった紅一点?のM女史と自分。今夜は特に予定もないし、晩飯は皆で食べたし、人数も減ったのでとりあえずその夜は 三人 ”Bar Saint” にて高級ウィスキーを氏の蘊蓄付きで色々堪能させていただきました。普段は安い沖縄の泡盛ばっかり飲んでいる自分にとっては、ウィスキーの奥深さを改めて再認識できた旅でした。本当にご馳走様でした。と言っても現実的には普段飲みできるわけないけどね💦
2/14 シンガポール滞在5日目
この日は自分は14時代のフライト。I氏はこの日が仕事が入っているということなので、朝、彼の会社で出社を見送ったのち、自分とM女史 は空港に送ってもらう。
二人でJewel Changi Airport を散策してフードコートで軽くランチ後、当初は全く想定外の送られる側に^^;
というわけでまたまた台北での長ーーーーぃトランジットを経て、沖縄に戻って参りましたとさ。
ところで、その後、M女史はその後 Jewel Changi Airport 内にある唯一のホテル”YOTEL AIR“に滞在しながら Jewel Changi Airport を満喫しつつ、シンガポール在住の日本人医師から正式な陰性証明を発行してもらい、在シンガポール日本領事館のお墨付きで、翌日15日深夜の帰国便には乗れたということで、予定より2日遅れでしたが思ったより早く帰れたので結局 Jewel Changi Airport マスターにはなれなかったようです😆
とにかくこの空港はどれだけいても飽きない空港だと思いました。
現地駐在員厳選の特上グルメ
2/10 シンガポール滞在1日目
昼食:亞華肉骨茶餐室
シンガポール入国後早めの昼食に連れてってくれたお店。肉骨茶 Bak kut teh の名店だそうだ。日本人は気軽に「パクテー」と呼んでるが、本来の発音は「バックッテー」が正しいらしい。
プラナカン料理のスープ料理なんだけど、ぶっちゃけ沖縄のソーキ汁(ほとんど味噌味)の塩味バージョンで、しかもニンニクが丸ごととか八角やシナモン、クローブ(丁子、)黒胡椒などのスパイスを効かせたスパイシーな逸品!
好みでメニューの「小菜」にある付け合わせを加えて味変するとまた乙ですっ!
特に「成菜(Salted Vegitable)」とある高菜の漬物みたいのを入れるとベストマッチでした!
この旅行ではどこもかしこも美味かったけど、ここの骨肉茶!最高に美味かった。
夕食:Silk Restarurant
シンガポール随一のセレブ御用達 The Singapore Island Country Club の併設のレストランなので会員以外は予約できないかもしれませんが・・。いやはや、とにかく極上の中華料理のオンパレード。
アントレに続き驚愕の旨さのフカヒレスープ。
最初はトッピングなしでサーブされますが、パクチー大好きな自分としては当然パクチー盛り盛りトッピングで!
メインの北京ダック
言葉にならないほど美味かったです!
さらにサイドメニューで数品。
そしてお酒はI氏がキープしている高級ウィスキー。新たに数本キープした途端に帰国が決まったので早いとこ飲んでしまいたいらしい (^^;;
2/11 シンガポール滞在2日目
朝食:Tiong Bahru Bakery
I氏レジデンス一階のショッピングエリアにあるパン屋さん。ここのクロワッサンはシンガポールNo.1とのこと。
自分は大好きなピスタチオをあしらったクロワッサンをオーダーしてみた。
クロワッサン自体が日本でよく見るクロワッサンの倍以上の大きさなので年寄りの自分には十分すぎるほど。とにかく美味い!
昼食:Banana Leaf Apolo
リトル・インディアの本場インドカレーの店。こういう店は大人数で行くに限る。いろんな種類のカレーをたくさん頼んで、みんなでシェアして!もっ、サイコー。
キンキンに冷えたタイガービールが五臓六腑に染み渡ります。チャイもうまかった!
フィッシュカレーをメインに、さまざまなカレーをチョイスしました。ライス付きの皿はデフォルトで出てきてナンは別途オーダーする感じだったかな?
どれも美味しゅうございました🤗
夕食:De golden Spoon
こちらはシーフードの専門店。
カニ料理がメイン、どのカニが出てきたのかわからんけど、どれも時価でございます。
2/12 シンガポール滞在3日目
昼食:Raffles Hotel The Grand Lobby
こちらは本編で詳しくご紹介したので芸術的なケーキやサンドイッチの写真をアップしておきます。
夕食:Po Restaurant
現代風にアレンジした、プラナカンとマレーシアの郷土料理の名店!
こちらも何もかもがとにかく美味かった!
PAPER SPRING CHICKEN 68 Good for 2-3 persons
Whole baked chicken, Shaoxing wine & sesame oil marinade,
glutinous rice, conpoy, dried shrimp, chinese sausage & mushroom stuffing (45 minutes preparation time)
メインディッシュの手巻き春巻き的な?標準的なコースに具材の追加メニューにはバリエーションがあるようです。マジうまでした!
ご馳走様でした。
2/13 シンガポール滞在4日目
昼食:Chatterbox
世界一高価な「海南鶏飯(ハイナンジーファン)」とは言われているけど、その名に相応しい鉄壁の旨さを誇るシンガポール最高の「海南鶏飯」の名店。
ちなみにタイのカオマンガイと基本同じなのですが、ソースが微妙に違うようです。
デザートも含めて全てが絶品。ご馳走様でした。
夕食:Song Fa Bak Kut Teh
最終日の夕食は Changi Jewel のB2のフードコートで肉骨茶 Bak kut teh をいただきました。本格的な飲茶のサーブもあったりしてフードコートとはいえ侮れない。さすが世界の Changi Jewel !
日本の空港にもぜひ見習ってほしい。特に日本の玄関である成田空港、羽田空港、関西空港、伊丹空港ね。沖縄の那覇空港には全く期待してません。県にも那覇市にも空港運営会社にも期待するだけ無駄なので。
現地駐在員指南シングリッシュ講座初級編
①発音&強弱
・シングリッシュは一応イギリス英語がベースだが、発音&強弱のつけ方は中国語の影響を大きく受ける
・単語の語尾にある子音が発音されない。
・“th”の発音は “d”か “t”
②文法
・主語やbe動詞は省略され、語順はほぼ日本語
・疑問文も語順を入れ替えず、最後に“ma?”を付ける
・時制など動詞の活用なし、名刺も常に単数
③万能用語 “can” “lah” “ma”
・同じ単語を繰り返して強調、軽い命令
・shouldn’t/may not/must notはすべて “can not”
・lahは多分中国語の「了」から来ていると思われる
上記を理解したら、具体的にどうなるかというと、
①発音&強弱
・I like it ⇨ あらきっ
・They ⇨ でぃ
・Think ⇨ てぃん
・Don’t be shy ⇨ どんしゃぃ
②文法
・Do you speak English? ⇨ You speak English ma?
・Where do you go? ⇨ You go where?
③万能用語
・can, can ! ⇨ きゃんきゃん!
・can not, can not ⇨ きゃのっきゃのっ
・wait, wait ! ⇨ うぇいうぇい
以上が初級編です。
ネタとして、中級編、上級編は拙宅で酒でも飲みながら楽しみましょうね!
ということで、シングリッシュあるある
というわけでシンガポール旅行記はこれまでとさせていただきます。
最後まで読んでくださった方!本当にありがとうございます。