「やちむん」の老舗といえば!那覇壺屋の「育陶園」
今回はもう数十年来懇意にさせていただいている那覇は壺屋の老舗蔵元、育陶園さんをご紹介!
おっと、その前に壺屋焼と沖縄の陶芸の歴史を簡単におさらいしておきましょう。
目次
焼物『やちむん』と壺屋焼の歴史
沖縄の陶器は「焼物」沖縄の方言で「やちむん」と呼ばれます。
ちなみに沖縄の方言では母音が3つしかなく「あいうえお」ではなく「あいういう」なので「おきなわ」は「うちなー、」「やきもの」は「やちむん」になります。覚えておくと、あなたもうちなんちゅになれるかも。
「やちむん」事始
時は14世紀から16世紀、沖縄は琉球王国の最盛期で盛んに東南アジアや中国と交易を行っていました。その頃にシャム(現在のタイ)から泡盛のルーツと言われている「ラオロン」という蒸留酒がタイ米とともに伝えられ、その貯蔵に使われた壺とともに南蛮焼の技術が伝えられたされています。その頃の古い窯が沖縄各地に残っていますが、読谷の喜納にも喜納古窯があります。また現在の沖縄県庁の下にも湧田窯という大規模な古窯がありましたが、県庁を建築する際に発掘が行われ2つの窯がそっくり切り出されて一つは壺屋焼物博物館に、もう一つは沖縄県立博物館・美術館(通称:おきみゅー)に保存されています。
壺屋焼の歴史
もともと壺屋も古窯があった場所でしたが、江戸時代の初期に薩摩藩の琉球侵攻によって薩摩藩の支配を受けることになり、南蛮交易にも制約を受けるようになりました。それまでの古窯では主に泡盛を貯蔵する酒甕や城の屋根を葺く瓦などを主に焼いており、茶碗などの日用品は主に輸入品に頼っていたのですが、南蛮交易が自由にできなくなったことで、日用品の陶器も自ら生産しなければいけなったことと首里城正殿が瓦葺きで再建されることで瓦の需要が増大したため、1682年に時の琉球国王である尚貞王が、沖縄本島各地に散在していた数々の古窯を首里城の足元である現在の壺屋の地に統合し、併せて各地のやちむん職人を壺屋に移住させたために、壺屋の地には数々の窯が出来ることになりました。これが壺屋焼の歴史の始まりです。
先の大戦では那覇の街は空襲でほとんど瓦解しましたが、壺屋の一帯だけは奇跡的に戦禍を免れました。戦後、不足する物資を補うため、米軍は戦禍を免れた壺屋の地を那覇の中でもいち早く住民たちに解放し、そこにやちむんの職人たちが戻ってきて事業を再開しますが、当初は軍用の飯わん(沖縄方言で「マカイ」)や電線を固定するための碍子(がいし)なども作らされていたそうです。のちに米国人向けの土産物も作られるようになり芸術性が向上していきました。
ガスも電気もない時代、沖縄の窯では「登り窯」での焼成が主流でした。壺屋にも昭和まではいくつかの登り窯が稼働していましたが、近年になって内地からの移住者や新参者が登り窯で発生する煙にクレームをつけるようになったために徐々にガス釜に移行していきます。しかしながら昔ながらの登り窯にこだわる陶工たちは新天地を求めて、もともと上質の土の産地であった読谷村に移住し、自ら登り窯を築いて「やちむんの里」を作るのです。
余談ですが、現在の育陶園6代目窯元の高江洲忠氏の妹さんの旦那さんである相馬正和氏も登り窯独特の偶然の作為の魅力にこだわり、読谷のやちむんの里近くに独自の登り窯「陶真窯」を築きました。相馬氏とも懇意にさせていただいてますが、とても多才な方で、一方、窯に併設するように息子さんが最高に美味いピッツァリアをオープンしてますので、近いうちに合わせてご紹介したいと思います。
壺屋焼窯元・育陶園
さて今日ご紹介する育陶園さん。窯元は先述した通り6代目の高江洲忠氏。家庭内手工業的な小規模の個人経営の窯が多い中、育陶園さんではいち早く会社組織に転換し、職人さんたちの待遇向上と計画的な生産体制を整え、いち早くガス釜を取り入れて品質の均一化を図ってきた古いながらも最先端の窯なのです。現在は忠さんの長女・若菜さんが社長となり、多くの職人さんの能力を最大限に引き出す体制が整備されています。前回のミラノ万博にも出店し、そのマーケットは世界中に広がっています。
育陶園グループは4つのテーマ別のクラフトショップと、陶芸教室を展開している道場。そして職人さんたちがせっせと作業している工房の6つがあります。3月1日現在、本店は改装中。本店の定番商品は最近オープンしたばかりでまだフライヤーの地図にも載っていない、ヤチムン喫茶Ethaで展示販売してます。
1. 育陶園本店
2. Kamany
3. Guma Guwa
4. 道場
5. 工房
6. Etha
育陶園本店
現在はEthanで展示販売している育陶園の定番商品、こちらは4年前のミラノ万博にも出展した線彫のシリーズ。蕎麦マカイから飯マカイ、ビールジョッキ、タンブラー、四角皿、丸皿、小鉢その他およそ陶器で考えられるバリエーションが揃ってます。古くからの壺屋焼伝統の魚紋や赤絵のシリーズの多くは窯元、忠さんの作品。大皿から実用品まで各種取り揃えております。
育陶園本店の改装が終わったら、更新しましょうね。
Kamany
本店に隣接したセレクトショップ “Kamany”、こちらには線彫りの名手、「康雄にぃにぃ」こと真喜志康雄氏の作品をメインに若手の職人さんのオリジナルの作品が展示販売されています。
Guma Guwa
セレクトショップ Guma Guwa 、こちらは育陶園の社長であり窯元の長女である若菜さんの作品をメインに展示販売しているセレクトショップ。女性ならではの感性で若い女性向けにデザインした作品が多く、女性のゲストがひっきりなしに出入りしています。
若菜さんは、平和通り商店街などに複数の店舗を持つ、海大好き人間御用達のアパレルショップ「海想」さんとコラボでコケティッシュなマッコウクジラをモチーフにした陶器なども制作していますが、こちらは「海想」のみの販売になります。
内装も女性の陶工さんたちの手作り。ペンキ塗りから始め、レイアウトにも工夫したそうです。
育陶園陶芸体験道場
こちらでは気軽に陶芸体験ができます。庭に廃された数々のシーサーや忠さんが気まぐれに作ったオブジェを見て回るのも楽しいものです。
育陶園の工房
今のところこの状況なので一部制限されていますが、平時なら基本自由に見学可能です。
動画は窯元の高江洲忠氏による足ロクロの実演。今では壺屋でも足ロクロができる人は忠さんぐらいだそうで、来年の大阪万博で実演することが決まっているらしく練習中なのだそう。時々下ネタが混る軽妙な語り口も勉強になります。
Etha
1年ほど前に育陶園直営のギャラリー兼軽食店としてオープンしましたが、このコロナ禍に加え本店が改装に入ったことで、今では育陶園本店のクラフトショップとなってます。
もともとは育陶園6代目窯元、忠さんの長男で7代目の高江洲尚平氏のクラフトショップも兼ねてオープンしました。祥平のオリジナル作品が中心に展示販売されています。尚平くんはどちらかといえば芸術家肌。独自の世界観を持って制作活動を行っており、中世のヨーロッパと沖縄を融合させた架空の国をモチーフに独自の路線を展開しています。その目的のために独自に開発した釉薬や手法は育陶園本店の経営にもフィードバックされるほど。将来が楽しみな逸材です。
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