ヴィアマーレ

読谷沖に沈む大量の米機関銃「M1ガーランド」

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M1 ガーランド
M1 ガーランド

 

M1 ガーランド

読谷村沖に沈む大量の米軍の機関銃

 

 

米軍のM1ガーランドが無数に沈んでいるという情報はごくごく一部のダイバーにはかなり昔から知られてはいました。

自分も15年ほど前にビーチエントリーで何回か調査して自力で探りあててはいましたが、水深25mという深度と、周囲はどこまでも砂地。アンカリングできるポイントも一見皆無。発見時にはすでに減圧も出てしまっていたため水面まで浮上して山立でピンポイントに位置を特定することもするのも諦め引き返しました。その時は仮に位置を特定したところで、身一つで船長とガイドを兼任する限りは、ここを案内することはまず不可能と判断し、封印していたままほとんど忘れてかけていたところでした。

奇しくも昨日は77年目の終戦記念日、およそ15年ぶりに潜った「M1 ガーランド」

1945年4月1日の嘉手納と読谷の境界である比謝川河口からの上陸に向けて沖縄の西海岸、北谷のハンビー沖から現在のコウリ残波の手前、宇座ビーチ沖にかけて4月1日早朝から戦艦10隻・巡洋艦9隻・駆逐艦23隻・砲艇177隻が集結し、現在の読谷村役場を中心とした旧日本軍の北飛行場(読谷村・後の読谷補助飛行場)と中飛行場(後の嘉手納飛行場)に対し、127mm以上の砲弾44825発・ロケット弾33,000発・迫撃砲弾22,500発が撃ち込まれたとされています。現在のヴィアマーレも当時は頭の上を数多の砲弾が飛び交っていたことでしょう。 1日と持たず、米軍は比謝川から上陸し、南北に展開していくことになるのですが、そこからは海兵隊や、陸軍のお仕事。戦艦の多くはそのまましばらく北谷・読谷の沿岸にすえおかれてて後方支援に回ったり、米軍の進行に合わせて北部や南部に展開していったでしょう。 その時に不要になった銃器などが廃棄されたり、あるいは海洋シケの荷崩れなどで海洋に投棄されてしまったのがこの機関銃群だと思われます。ちなみに北に配備されたUSS.EMONSは4月6日に伊江島沖で特攻機の攻撃を受けて航行不能となり、そのまま東へ漂流、翌7日機密漏洩を恐れた米軍によって撃沈されて古宇利島沖に鎮座しました。

そのポイントを数年前にアメリカ人のダイバーが再発見したようで、にわかに脚光を浴びることになってしまいました。一部の開拓者だけが知るポイントとして封印しておくつもりでしたが、自社ボートを売却した今、自分で船長をやることも無くなったし、ここまで公になってしまっては、もはや隠す必要もないので積極的に売り出すことにしたというワケ。

 

 

M1 ガーランド
掘り起こされたガーランドには大量の貝やサンゴのかけらが付着しています。
火炎放射器か?
火炎放射器?
火炎放射器のボンベ?
火炎放射器のボンベ?
M1 ガーランド
M1 ガーランド

 

 

ただし、機関銃は平均的に23〜25m程度のフラットな砂地に散らばっており、周囲にはトップが15mくらいの根はありますが、安全停止ができるような浅瀬は皆無、アンカリングもできない環境ですので、基本ドリフトダイビング。フロートは必ず使用しての安全停止となります。自信のない方はフロートのラインに捕まればある程度の安全停止深度のコントロールは可能ですが、基本的に中性浮力で安全停止ができることを参加の絶対条件とさせていただきます。

理想的には全員がエンリッチ・ユーザーでエンリッチ32を使用すればより長時間ゆっくりと水底を探索できます。

となると理想としては、EAN SP、ディープSP、 波・潮・カレントSP、中性浮力SPの受講済みが理想です。

まだお持ちでない方は事前に最低でもEAN SPは受講しておきましょう。

EAN SPはe-Learningとオンラインzoom座学で完結します。必ず事前に当店で受講ください。

この記事を書いた人

案納昭則

潜水歴四十年、総本数12000本を超える現役のSSI(スクーバ・スクール・インターナショナル)インストラクターでありJPS所属の職業写真家。
2003年にNHK「趣味悠々〜水中散歩を楽しもう(全7回)」講師を担当。上智大学外国語学部フランス語学科中退。
NPO法人沖縄県ダイビング安全対策協議会事務局長を歴任。

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